カンテラテンカ

不退転の男 5

「……おい!?」
 アノニムからの反応がないので、思わず振り向いた。これでアノニムまで<魅了>にかかったら打つ手がない。タンジェはこの遺跡から帰れないだろう。
 だがアノニムの顔を見れば目が合い、明確な意思を持って沈黙していると知れた。
「……」
「何とか言いやがれ!」
 アノニムはタンジェから静かに目を逸らす。動いた視線は、この遺跡の出入り口のほうを向いていた。
「……逃げる気かよ!?」
 タンジェは驚愕した。アノニムはまた視線を動かし、再度タンジェの顔を見る。
「勝てねえ」
「あ……!?」
「黒曜とパーシィが本気でかかってきたら、勝てねえ。見りゃ分かるだろ」
 だからって、と喉から声が出た。
「だからって置いて逃げんのか!?」
「……」
⁠ タンジェの形相が怒りに染まる。こんな腑抜けだとは思わなかった。
 確かにただでさえ力押しのタンジェが、それを超える力押しのアノニムと組んだところで、技巧派の黒曜と遠距離攻撃のパーシィに勝てはしないかもしれない。
 だが、それがなんだというのか!?
 タンジェの剣幕は凄まじく、そこら辺の一般人なら竦み上がってもおかしくない。だがアノニムがそれにちょっとでも怯むことはない。
「負けたら終わりだ」
 タンジェの睥睨から逃れようともせず、アノニムはただ淡々と事実を述べるように言った。
「死ぬぞ」
「……!」
 カッとなる。負けたら終わり、死ぬ、だから逃げるだと!?
「てめぇは大事なもののためなら命を賭けられるんだろうが! ふざけてんじゃねえぞ……!! 俺たちが逃げたら黒曜とパーシィがどうなるか分かんねえんだぞ!?」
 アノニムは眉根を寄せてタンジェを見た。その顔は――どんな感情なのかは、読み取れない。だが、応答したのはアノニムではなく、
「とりあえずボクの従者にしよっかなー」
 のんきな声のハンプティだった。
「2人ともかっこいいしね! やっぱ侍らせるならイケメンだよね~!」
「言ってろ……! ぶっ潰してやる!」
 黒曜とパーシィをふざけた悪魔の従者になんかさせてたまるか。

☆・・・・

 死、という言葉を向けられて、タンジェリンの瞳に浮かぶのは恐怖や悲嘆なんかじゃなかった。遺跡を照らす燭台の明かりの下で、やつの朱色の目が確かに何らかの情熱にギラつくのを見た。それが何なのかは知れない。怒り、あるいはアノニムへの失望か?
 "てめぇは大事なもののためなら命を賭けられるんだろうが!"――何言ってんだこいつ、という感情を覚えた。呆れ、いや――たぶん、人が言うところの「戸惑い」というのが一番近いと思う。
 確かにアノニムは、家族のためなら命を懸けられる。だがそれは大事なもののために命を投げ出す、という意味ではない。
 大事なものを守るために武器を取り、守り抜く。最後まで守り抜くのなら、自分も生き延びるのは大前提だ。それで初めて、命を懸けたと胸を張れるのだ。それが"大事なもののために命を懸ける"ということだ。

 ――なんでタンジェリンはそれを、"大事なもののために命を賭す"なんて勘違いをしてやがるんだ?

 死は終わりだ。死んだら何もかもおしまいだ。
 ふざけてんじゃねえぞ、とタンジェリンは言った。アノニムからすれば、ふざけているのはタンジェリンのほうだ。
 戦うどころの話ではない。ここでアノニムたちが死ぬわけにはいかないのだ。死んだら黒曜とパーシィの現状をサナギと緑玉に伝える方法がなくなる。どう考えても、いったん退いて、サナギと緑玉と4人で戦闘に備えるべきだ。それが一番、勝ちに近い。
 アノニムは間違っていない。逃げるべきだ。
 だが、止める間も、アノニムの考えを伝える隙もなかった。タンジェリンはもう斧を構えて走り出している。

 タンジェリンはアノニムより弱い。負けるだろう。それでもタンジェリンは負けることが――死ぬことが、何も怖くないみたいだ。
 タンジェリンの背中が遠ざかる。決して大柄ではないタンジェリンの背中を、初めて見るような気がする。この遺跡に入ったとき、タンジェリンは先頭を歩いた。彼の背中を、そのときだって見たはずなのに。
 戦士役を巡って決闘をして以来、たまにタンジェリンと勝負をすることがある。興味はないが、挑まれたなら断らない。何故か? アノニムがタンジェリンに負けることはないからだ。
 勝てる勝負しかしない。それがアノニムにとって生きる方法だった。あるいは、負けるかもしれない勝負に際して、何をしてでも負けないことがアノニムの処世術だった。負ければ死ぬ、それが当然の世界にいて、アノニムの処世術は何よりも「正しい」。
 誰かのために戦うならなおさらだ。アノニムが死んでしまったら何も残らない。何の意味もない。

 なのにタンジェリンは、どうしてこうも容易く、あの豪雨のような光弾に飛び込み、ひどく冷えた刃に肉薄することができるのだ?

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不退転の男 4

 タンジェリンと黒曜が突如、交戦状態に入ったので、アノニムも咄嗟に臨戦態勢にはなった。とはいえ、敵が分からない。2人が何故、戦闘を始めたのかも分からない。だが、2人の会話から察するにどうやら異常事態が起きているのは黒曜のほうらしい。ならば加勢するならタンジェリンのほうか?
 アノニムは少しだけ逡巡した。――黒曜を相手にはしたくねえ。
 かつてパーティを組むとなったとき黒曜に歯向かって、容易く床に転がされた経験があった。できれば戦いたくはない相手だ。だが、タンジェリンのほうに集中している今なら――?
 アノニムが隙を伺っているその間に、こちらもほぼ同時に異変に気付いたパーシィがハンプティを向く。
「く……!」
 それから利き手の左手を翳し、聖句を唱えようとしたところまで確かに見えた。だが、
「――それを向ける相手は、"ボクじゃない"よね?」
 言ってニッコリと微笑んだハンプティの視線に射貫かれたパーシィが、突如ぐるりとタンジェリンを振り返る。
 つまり、これは。
「タンジェ、すまない、少し痛いと思う……! <ホーリーライト>!」
 タンジェリンはマジかよ、の顔をしたが、回避行動は間に合わず、パーシィから放たれた光弾が左肩に着弾した。
「パーシィ、てめぇ!」
「俺の意思じゃないんだ……!」
 かなり整然と聖句を唱えていたような気がするが、それも彼の意図するところではないということだろう、パーシィも顔を歪めている。
「ハンプティ、てめぇだな……!?」
 今さっきのパーシィとのやりとりを見れば一目瞭然だ。アノニムにだって分かる。この子供が黒曜一行を謀ったのだ。
「あはは! 大正解ー! パパとママがいるなんて、真っ赤なウソでした!」
 口でピンポンピンポンと正解の効果音を言いながら、ハンプティは拍手する。
「それにしても、お兄さんたちみんな<魅了>が効きづらいねえ。ここまでかけ続けてやっと2人の身体のコントロールを得られただけなんてさ」
 唇を尖らせたハンプティが拗ねたように足元にあった石を蹴る。<魅了>……精神操作の一種だ。ハンプティの口ぶりからすると、彼のそれは身体のコントロールをまず奪うらしい。
 ハンプティが元凶だ、それを理解したとき、まずアノニムの脳裏に過ったのは、いかに黒曜と刃を合わせずにハンプティを殺るか、だった。
 黒曜とパーシィは現時点で敵の駒とみなす。つまりアノニムとタンジェリンは数の上ではすでに不利だ。だがタンジェリンが黒曜とパーシィの標的であり、ハンプティもタンジェリンとの会話に集中している今なら――。
 アノニムが考えている間に、黒曜が容赦なくタンジェリンの背後をとっている。
「会話する気があんならよ……!」
 咄嗟に振り返り青龍刀を斧で受け止める。技術はともかく、鍔迫り合いに持ち込めば、タンジェリンがパワーで押し切られることはないはずだ。
「攻撃やめさせやがれ!」
 斧で強引に青龍刀を弾く。だが、それが限界だろう。黒曜に隙ができた一瞬で距離を取ろうとするが、パーシィの光弾が退くことを許さない。近距離と遠距離をしっかりカバーしている。厄介だ。
「やだよーっ」
 ハンプティはけらけら笑っている。
 アノニムはパーシィの<ホーリーライト>がタンジェリンに向かったタイミングで、まっすぐにハンプティへ駆け出す。パーシィは普段は<ホーリーライト>を連打することはほぼないから、安全に仕掛けるならここだ。
 だが、そこは見込みが甘かった。攻撃がパーシィの意思でないなら当たり前だ。ハンプティがアノニムの間合いに入るより先、2人の間に光弾の雨が降り注ぐ。
「……ちっ!」
 それから一瞬でタンジェリンからアノニムへと標的を変えた黒曜が割り込み、青龍刀を逆袈裟に振り上げた。これはかわしたが、頬に一閃、傷が入った。ハンプティを最優先で守るようにコントロールされているのだろう。
 やりにくい。
 黒曜が本来仲間だからとかではない。単純に、戦闘スタイルが噛み合わず、戦いづらい。棍棒を突き出す。一発で意識を持っていくだろう――当たれば、だ。青龍刀の刃で簡単に攻撃の方向を逸らされる。
 取っ組み合いまで持ち込めれば負けないだろうが、武器を持った状態では分が悪い。そんなことは向こうも承知らしく、決してアノニムに不用意に近付こうとはしない。それでも追い縋り、何度か棍棒を打ち付けたが、青龍刀でいなされるどころか武器を振り下ろした隙を突かれて傷をこさえる始末だった。
「目的は何なんだよ……! てめぇ、ラヒズの関係者なのか!?」
 アノニムと黒曜が武器を打ち合っている隙に、タンジェリンが叫ぶように疑問をぶつけている。ハンプティは、
「あーラヒズね。まあ同期、みたいなもの。でもあいつ酷いんだよ! ボクをこっちに喚ぶだけ喚んで、あとは放置だもん!」
「わけ分かんねえよ……! どういうことだ!?」
 一人で黒曜を相手取るのは無理だ。アノニムはそう判断し、退いてタンジェリンの横に立った。アノニムの耳により鮮明に2人の会話が入ってくる。
「だからボクもさ、悪魔なんだよ、あ・く・ま!」
「てめぇが悪魔ならパーシィが見逃すはずねえだろ!」
 パーシィは確かに、人よりは悪魔の察知能力に優れているかもしれない――アノニムは考える。だがそもそもパーシィだってラヒズの正体を最初から見抜けてはいなかった。多少の不快感こそあれ、まさか悪魔だなんてことは。それは単に、パーシィの感知を、ラヒズの潜伏能力が上回っていただけのことだろう、とアノニムは思っている。
 パーシィは完璧ではない。元天使とはいえ、彼はすでに地に堕ちているのだ。こんな見落としが起きることくらい、アノニムにとっては何も不思議ではない。
 アノニムはパーシィを見る。先ほどまでは会話が成立していたが、時間が経てば<魅了>は深くなるらしい。パーシィは無言で、虚ろな目でこちらを眺めていた。たぶん意識はなさそうだ。……やりづらい。
「ああそれね」
 と、ハンプティはタンジェの言葉に応答している。
「まあボクも一応、魔力を抑えて隠してはいたし。それにしてもラヒズの気配に過敏に反応しすぎたのかもね。それか……<魅了>にかかった時間を見るに、もしかしてボク弱体化してる? 悪魔の気配がないほど? やだー最悪なんだけどーもー」
「そうなのかよ? どうなんだ、パーシィ!」
「……」
 タンジェリンが声をかけたが、案の定、パーシィからの反応はない。翳した左手からいくつもの光弾が立ち上り、タンジェリンとアノニムに豪雨のように降り注いだ。
「っつ……!」
 普段パーシィがこの量の<ホーリーライト>を打たないのは、仲間を巻き込まないためだ。彼がその気になれば、多少の草原くらい焼け野原にできることをアノニムは知っている。もっとも、やつにストックされた<祈り>――体内のエネルギー残量が、それを無限に打つことは許さない。パーシィが正気なら、だ。
 タンジェリンは毒づいた。
「元とは言え天使が悪魔の<魅了>にやられるって……そんなのアリかよ!」
「あーっ、舐めてる!? ボクの<魅了>は本当に強力なんだから!」
 自我の落ちたパーシィと黒曜を両脇に侍らせて、ハンプティが頬を膨らませている。
「そもそも悪魔と天使はお互いが弱点同士なんだから、先手を打ったほうが勝つのが道理なの! 悪魔が天使に負けてばっかりみたいな偏見やめてね?」
 タンジェリンとハンプティの間にある会話のおかげで、一瞬の思考の猶予がある。だがその猶予で脳裏によぎるのは、ただ、勝てない、という可能性だった。アノニムは努めて冷静に考えてみる。
 離れていればパーシィの遠距離攻撃が来る。普段なら様々な理由でセーブしているそれだが、今の状態で手加減を期待するのは愚かだろう。あのペースなら遠くないうちにエネルギー切れを起こすはずだが、普段のパーシィは決してそんなことにはならないので、やつの体内のエネルギー残量は正確には把握できない。数時間、いや数十分でも保たれたらアノニムとタンジェリンは回避しきれず焼き殺される。
 近づけば黒曜の青龍刀とやり合うことになる。剣術どころではない、あれは熟練の"戦闘技術”である。やつはアノニムが生きるために身につけた暴力程度、容易く対応してくる。そして人を殺すことに躊躇いがない。取っ組み合いの力比べなら勝てるだろうが、そこまで持っていくのにどれだけの犠牲が必要か。腕の1本は要るだろう。そうなればこちらの腕力はシンプルに半分だ。それで取っ組み合えても何も意味がない。
「アノニム、とにかくハンプティをやる! 一気に行くぞ! 何なら俺を囮にしやがれ!」
 タンジェリンが斧を構えてアノニムに叫ぶ。戦う気だ。見れば分かる。こいつは何も考えちゃいない。アノニムから言わせれば愚行で、蛮勇だ。

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不退転の男 3

 ホックラー遺跡への道のりは、途中までは街道で快適だ。少し道を逸れても、それほど過酷ではない。1時間歩き詰めなのは、子供の体力にはきついと思うのだが、ハンプティは文句一つ言わなかった。両親とホックラー遺跡に行ったことがある、案内できると言っていただけはあり、道案内も的確だ。年齢や家柄がなければあるい冒険者になれるかもしれない――いや、冒険者なんてのは理由なくなるようなものでもないか。
「こっちだよ!」
 パーシィが面倒をみているはずだったが、案の定、すでにパーシィは彼のおもりをほとんど放棄していた。一応ハンプティの動きを目で追ってはいるが、そんなことはタンジェにだってできる。
「手でも繋いでおけよ」
 タンジェが呆れ半分でパーシィに声をかけると、
「嫌がられてしまって」
 ……パーシィではなく、ハンプティの側の問題だったようだ。
「もうあの年頃だと手なんか繋がないものだろうか?」
「あー……ガキはめんどくせえからな……」
 そういう時期が自分にもあったかもしれないことを棚に上げ、タンジェは適当に相槌を打った。
「見て見て! ほら、あそこ!」
 ホックラー遺跡の入り口が木々に沈んでいる。さすがにベルベルント郊外は騎士団の見回りもしっかりしているらしい、ここまでの道のりには妖魔の気配も賊の潜伏もなかった。
 ダンジョンというわけではない、すでに公的な調査が入っている場所だ。さすがに何もないだろうとは思ったが、タンジェは盗賊役としてまず動く。遺跡の入り口を丁寧に調べて、罠の類がないかを確認した。もちろんそんなものはなかったが、昔に解除されたのであろう罠の残骸は残っている。
 それから――確かに最近、何者かが侵入したような形跡はあった。ということは、この形跡の主はハンプティの両親だろう。やはり、奥にいるのか。
 ともあれ入り口付近に危険はなさそうだ。タンジェは立ち上がった。
「大丈夫だ、進める。行こうぜ」
 盗賊役は、こういうとき先頭を歩くものだ。

 遺跡の入り口すぐに地下へ向かう石造りの階段があって、それを降りていけば少し開けた空間に繋がった。遺跡と言うだけあってやや人工的な造りで、古びた燭台が等間隔で壁にあった。燭台にはいくつか火が灯っていて明るい。もちろん、自然に火が灯るわけはないから、これも人の痕跡だ。
「やっぱりパパとママがいるんだ!」
 ハンプティは喜んだ。
「血の臭いはしない」
 黒曜が先頭のタンジェに囁く。獣人の黒曜は五感が鋭いので、彼がそう言うなら間違いはないだろう。
「少なくとも怪我はねぇってことか……? それじゃあなんで帰ってこねえんだ?」
「分からない」
 それはそうだ。まだ危険を想定して警戒するしかない。血の臭いも、妖魔の気配もしないなら、考えられるのは……。悪魔の姿が脳裏をチラつく。
 遺跡は迷うほどは広くない。多少の分かれ道もハンプティが奥への道を案内してくれた。数十分もすれば、タンジェたちは遺跡の最奥まで来てしまった。四角の石が積み上げられた壁に四方を囲まれた、比較的広い空間だ。
 壁の燭台には相変わらず火が灯っていたが、誰ひとりいない。気配もない。
「おい、どうなってんだよ。誰もいねえじゃ――」
「タンジェ!!」
 突然、黒曜がタンジェの名を叫んだ。
「――かわせ!!」
 意味を理解するより先に身体が動いて、タンジェは大きく一歩身を引いた。タンジェの首があった場所を鋭い刃が通り過ぎる。
「……何の冗談だ?」
 タンジェは口端を歪めた。タンジェの首を的確に狙ったその刃は、間違いなく青龍刀のそれだった。ベルベルント近辺で青龍刀の使い手は多くない。少なくとも今ここでそれを振り回せるのは黒曜しかいなかった。
 そして実際、避けるよう指示したとうの黒曜が、青龍刀を構えてタンジェに向けている。
「やられた」
 黒曜は珍しく忌々しげに顔を歪めて、
「身体が動かん。何とか避けろ、タンジェ!」
「ふざけんなてめぇ! どうなってやがるんだ!?」
 容赦のない一閃が再びタンジェを襲う。盗賊役というのはだいたい身軽さがウリで見切りも得意なものだが、ことタンジェに関しては当然そんなことはない。そんな訓練はしていないし取っ組み合いのほうが得意である。それでも黒曜の申告があったのでかろうじて回避はできた。タンジェの赤毛が数本ばかり切り落とされて宙を舞う。

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不退転の男 2

 タンジェが親父さんに渡されたお使いメモは、結構な文字数で――だが、サナギの書くそれに比べて、なんと読みやすいことか!――その分、タンジェの抱える買い物袋もかなり重い。もちろんタンジェにとって運ぶのに苦労はないが、これをそれなりの年齢の親父さんや非力な女性の娘さんに運ばせるのは無理があるだろう。買い出しを引き受けた理由はそれだけだ。
 もっとも、タンジェがこのお使いを引き受けなかったとて、別に他に予定があるわけでもない。ヒマではあった。世話になっているのだ、あいている時間にお使いくらい行ってやって然るべきだろう。
 改めてお使いメモを確認して、不足のものがないことを確認する。問題ないと判断し、星数えの夜会への帰路を歩く。
 馬車が横切るのを待つ大通りで、くい、と服の裾を引かれた。見下ろすと、幼い少年がひとり、タンジェの服の裾を掴んでタンジェを見上げている。
 知らない子供だ。もっとも、知っている子供というのはほぼいない。
「なんだよ?」
 上から睨んだが、少年はまったく怯んだ様子がない。太陽光をいっぱいに浴びてキラキラ光る大きな目でしばらくこちらのことを見上げていたが、
「パパとママが……」
 と、呟いた。
「あ?」
「パパとママが戻ってこないんだ」
 少年にはまるで悲壮感も焦燥感もなかったが、その言葉には多少、同情した。内心で、ほんの少しだけ。とはいえ、タンジェにできることなんか別にない。わざわざ迷子の両親探しをしてやる気はなかった。そうでなくても、買い出しの途中で、大荷物を抱えているのだ。
「で?」
 とタンジェは言った。
「お兄さん、冒険者さんでしょ?」
「……なんで分かった?」
「星数えの夜会は、お兄さんたちが思ってるより有名だよ」
 少年は無邪気に笑っている。
「ね、依頼を受けてほしいな。ボクのパパとママを探して! お礼ならできるんだ」
 依頼内容の割に、ずいぶん気楽な様子だった。

★・・・・

 帰宅後、タンジェは買い出ししてきた荷物を親父さんに預けて、結局、ついてきた少年を適当なテーブル席に座らせた。それからパーティのメンバーを探す。迷子の両親を探す程度の依頼、本来ならタンジェ一人でも済むだろうが、問題は少年が告げた「パパとママがいると思う場所」だった。少年は「パパとママは学者さんで、遺跡に行ったんだよ」と言ったのだ。
 遺跡……確かにベルベルントの周囲にはいくつか遺跡がある。いずれも比較的小規模で、すでに発掘・盗掘され尽くした出涸らしだと聞いているが、学者ならば行くこともあるのだろうか。問題は、放棄されたそれらの遺跡には定期的に妖魔が住み着く、と聞き及んでいたことである。そのたびに駆除されているようなのだが、少年の両親が帰らないなら、最悪の場合を考えなければいけないだろう。
 少年がテーブル席で足をぷらぷらさせているのを横目に、見慣れた顔を探せば、黒曜とパーシィはすぐに捕まった。アノニムは外出から帰ってきたところに声をかけることができた。
「サナギと緑玉知らねえか」
 たまたま近くにいた翠玉に尋ねると、鳥がさえずるように控えめに笑って、
「2人でお出かけしましたよ」
 と。タンジェは面食らう。サナギと緑玉が? ……もしかして、本当に仲がいいのか?
 まあ、それを追及する趣味はない。わざわざ外出しているのを呼び戻すこともないだろう。妖魔のいる可能性がある遺跡とはいえ、ベルベルントの郊外。フルメンバーで臨むほどの危険はないと思われる。
 とりあえず4人で少年の話を聞くことにした。

「名前は?」
「ハンプティ!」
 黒曜の質問に元気よく答えたハンプティは、冒険者たちの顔をじーっと見比べてから、何か質問があれば、とでもいうように首を傾げた。
「両親が遺跡から帰らないという話だったが」
「うん! 北にあるホックラー遺跡に行くって、パパとママが言ってた」
「ホックラー遺跡か」
 黒曜が言いながら――今回サナギが不在のため――メモを取っている。
「いなくなったのはいつ頃だ」
「昨日のお昼くらいから。昨日の夜には帰るって言ったのに、帰ってこないんだ」
 ここで、だいたいサナギかパーシィが「それは不安だろうね」くらい言うものだが、サナギはいないとして、パーシィが黙って聞いているのが何となく不自然に感じた。パーシィの顔を見やると、特に変わった表情はしていないのだが、何か考え事をしている様子だった。無視してもよかったが、
「パーシィ、何かあんのかよ」
「え?」
 タンジェが声をかけると、パーシィは顔を上げた。
「俺かい?」
「何か考えてることがあるんじゃねえのか」
 目を何度かぱちぱちと瞬かせたあと、パーシィはハンプティを見て、
「それじゃあ、……ハンプティ、きみ、片眼鏡の、長身の男性に会ったことはあるかな?」
 その外見特徴に当てはまる心当たりは、ラヒズしかない。だが、何故、今このタイミングでそんなことを少年に聞くのだろうか。タンジェは訝しく思ったが、黙って様子を見ていることにした。ハンプティは人差し指を顎に当ててしばし考えたあと、
「うーん……あ。あの人のことかな? あるよ。パパとママの友達だって」
 パーシィはそれを聞いてまた少し考える素振りをしてから、タンジェたちに小声で言った。
「この少年から、若干だが……ラヒズの気配を感じる」
「あ?」
 タンジェの眉が上がる。
「あいつどこにでも出てきやがるな。しかし……どういうこった?」
「分からない」
 本当に僅かなのだけれど、警戒はしたほうがいいかもしれない、とパーシィは告げた。
 警戒と言ってもな、とタンジェはハンプティの様子を眺めた。大きな目を不思議そうにキョロキョロ動かしている。こいつの両親がラヒズに関わっていた、ということなんだろうか。だとすれば帰ってこない原因も、遺跡の妖魔ではなく、悪魔絡みなのだろうか?
 ……今考えても仕方がないことだ。
「報酬は出せるのか」
 黒曜が淡々と聞くと、
「うん! お小遣いがあるから。普通どのくらい払うものなのか、よく分かんないんだけど……300Gldでどうかな?」
 迷子の両親探し、目的地も分かっている、ホックラー遺跡は徒歩で行ける距離、遭遇したとして妖魔は恐らくゴブリンやコボルト程度……さまざまな条件を加味し、充分すぎるくらいだ。300Gldをぽいと出せる子供なんてめったにいない。裕福な家庭の子供なのだろうと思う。タンジェは最近、師ブルースに相談して鑑定眼も熱心に磨いていて、だからハンプティの着ている服がかなり上等らしいことも見て取れた。
「ホックラー遺跡自体は、徒歩で1時間もあれば着く」
 頷いた黒曜が言う。
「早めに出たほうがいいだろう」
 初動はハンプティの両親の生存率に繋がるはずだ。タンジェは頷いた。おそらく日帰りの依頼になるだろうから、旅支度は最低限だ。一同は簡単に、だが的確に装備を整えて、さっそくホックラー遺跡に向かうことにした。
「じゃあハンプティ、依頼が終わったらここで……」
「え、ボクも行くよ!」
 ハンプティはぴょんと椅子から飛び降りて、きらきらとした顔をこちらに向ける。
「連れて行くわけねえだろ、探索の邪魔だ」
「えー」
 タンジェの言葉に、ハンプティは不服そうな顔をして、それから、
「でもボク、パパとママにくっついてホックラー遺跡に行ったことあるんだ! だから案内できると思うよ」
「……」
 ホックラー遺跡は観光地ではないから、まず地図は流通していないだろう。盗賊ギルドに行けば出回っているかもしれないが、そこまで手間をかけたくないし金も無駄だ。タンジェが天秤にかけて悩んでいる横で、パーシィがばっさりと告げた。
「だが、足手まといだからなあ」
「……」
 ハンプティはぱちぱちと目を瞬かせてパーシィを見つめ、やがて少し考えるようにしたあと、
「そっか、分かった。じゃあここで待ってるね!」
 にこりと笑った。なかなか聞き分けのいいガキじゃねえかとタンジェが頷く。ところが黒曜が、
「あとから追ってこられるほうが、やりづらい」
 と言った。思わず彼を見て、
「……何のことだ?」
「ハンプティは、あとから俺たちを追いかけて遺跡に来るつもりだ。見れば分かる」
 その言葉に、タンジェがハンプティに視線を移せば、沈黙を保っていたハンプティは、やがてちろっと舌を出した。タンジェは眉根を寄せて額を抑える。
「……なら、初めから連れてったほうがまだマシか……」
 どうせ来るなら、タンジェたちといたほうが危険は少ないだろう。仕方ない。
「よく分かったものだな?」
 感心した様子のパーシィが黒曜に尋ねれば、腕を組んだ黒曜は、
「幼いころの翠玉と緑玉が、よくああいう顔をしていた。あの顔をした2人は、危険な場所についてくる」
 無表情で言った。はは、とパーシィは笑った。
「翠玉と緑玉が? 意外とヤンチャだったんだな」
「ああ」
 黒曜が頷き、続けて、余裕があればハンプティの面倒をみるようパーシィに言った。今回のメンバー構成で後衛なのはパーシィだけなので、彼に頼むことになるのは止むを得ないだろう。パーシィは「分かった」と快諾したが、本当に分かっているかは怪しい。パーシィに子供のおもりは荷が重いのではないだろうか。

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不退転の男 1

「行ってくる」
 と声をかければ、他の奴らの言うところの"親父さん"と"娘さん"が「気をつけてな」「いってらっしゃい」と応答した。アノニムはいつもそれを聞き届けてから外出する。
 アノニムが挨拶をするのが意外らしく、初めて聞いたときのタンジェリンは目を丸くしていた。そのタンジェリンは、今ここにはいない。親父に頼まれて買い出しに行っているとのことだ。
「アノニム! ちょっと待ってくれ!」
 星数えの夜会の玄関を開けようとしたところで、バタバタと階段を降りてくる音と聞き慣れた声がする。パーシィだ。
 呼び止められた理由は分かる。アノニムは大人しく玄関で待って、パーシィが小走りで目の前まで来るのを見届けた。
「こんなに早く出かけるとは思わなかったから。呼び止めてすまない」
「さっさと行ってさっさと帰る」
「そうだな、それがいい」
 と言いながら、パーシィは自身の胸の前で手を組んで目を閉じた。数秒、それだけだ。顔を上げたパーシィは「それじゃあ、いってらっしゃい」と笑ってアノニムを見送る。
 "あれ"がなんなのか詳しいことは知らない。だが、パーシィはアノニムが一人で出かけるとき、タイミングが合えば必ず"あれ"をする。
 パーシィ曰く、聖ミゼリカ教のおまじないらしいのだが、アノニムのような不心得者にどこまで効果があるのかは謎だ。もっとも、別に時間や金や命をとられるわけでもない。効果があってもなくても、どうでもいいことだ。

 娼館の並ぶ花通り。そこいらの娼館を取りまとめているアルベーヌから「頼みがある」と呼ばれていた。
 花通りでは最近、アノニムの幼馴染みが死んだ。たぶんその遺品整理でもするのだろうと思っている。といっても、幼い頃に娼館に来て以来ほとんど贅沢をしなかったあの女――エリゼリカに、そこまで大層な荷物はないことを、アノニムは知っていた。
 花通りは昼間はほとんど娼婦たちが家事に勤しんでいて、晴れた今日は洗濯を干すものでいっぱいだった。
 指定されていた娼館に入ればすぐアルベーヌと対面し、アルベーヌはアノニムをエリゼリカが使っていた部屋に案内した。
 小さくはあったが小綺麗な部屋だ。アノニムにはものの価値は分からないが、たぶんしつらえた家具の値段はそんなに高くない。小さなものばかりだし、質素だ。それでも女たちでこの家具を運び出すのは骨だろう。
「どこに運び出せばいい」
 アノニムがアルベーヌに尋ねると、アルベーヌはびっくりしたような顔をして、
「運び出す?」
「?」
 こちらからもアルベーヌを見た。
「捨てるんだろ?」
 アルベーヌは、一瞬怒ったような、呆れたような、よく分からない表情になり、
「あのねぇ。ここは、ベルギアの部屋にするんだよ。ベッドに柵を取り付けてやってさ。ここならみんなもすぐ様子を見に来られるだろう」
「……」
 ベルギアというのは、エリゼリカが死に際に産んだ赤子の名だった。エリゼリカがあらかじめ決めていたその名を、アノニムも何度も聞かされていた。
「で、材料は買ってきたんだけど、柵を取り付けるのもちょっとした大仕事だから、あんたを呼んだのさ」
 確かに材木が置いてある。だが自分向けの作業ではないと、アノニムはすぐに分かった。親父に頼まれて星数えの夜会の屋根に上り雨漏りの修繕を試みたことがあるが、ろくなことにならなかったのだ。
「俺向けじゃねえ」
 アノニムは素直に言った。
「他に頼れるやつもいないのよ」
 適当でいいからやっちゃって、と言う。
 結局、あのとき雨漏りを直したのはタンジェリンだった。買い出しに出ているという話だったから、夜会に呼びに行っても交代することはできない。そもそもアルベーヌはよく知らないタンジェリンをここまで上げないだろう。仕方なかった。

 数十分かけて、言われたとおり適当にベッドに板を打ちつけて、それでよしとした。赤子が落ちない程度にはなっているだろう。
 そもそもそこまで高さはないベッドだ。落ちたって死にはしないはずだ。
「助かったわ、アノニム」
 アルベーヌが言って、アノニムに金を握らせた。
「ん」
 受け取ったが、たかが板をベッドに打ちつける作業の礼としては袋が重い。
「エリゼリカはずいぶんお金を貯めていたわ」
 不意にアルベーヌが言った。
「……その金は赤ん坊を育てるのに使え」
「もちろんそのつもりよ。でも、エリゼリカはあなたにも何か礼をしたがると思うの」
 だからその分、半分はアタシから、とアルベーヌは言った。
 死人がそんなことを思うわけがない。思えるわけがない。死は終わりだ。死者はその死後に何の主張もしない。これはアルベーヌが思い描いた単なる理想で、妄想だ。
 だが、金は受け取った。
 エリゼリカの想いが宿っていないことなど知っている。が、きっとアルベーヌの想いはそこにあるからだ。

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