カテゴリー「 ┣Over Night - High Roller」の記事一覧
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Over Night - High Roller 11
シャルマンは派手に燃え落ちたし、怪我人は山ほどいたようだが、幸い死者はいなかったらしい。
もともとシャルマンは移動カジノ。よそ者が広場に間借りしていただけであるから、ベルベルント側に大きなダメージはない……ように、俺には見える。
実際は広場を貸した契約とかいろいろあるのかもしれないが、目に見えるところではシャルマンは跡形もなく消え去り、それで終わりだ。
もちろん、ベルベルントの治安隊は放火犯を捜している。黒曜と翠玉は相当上手くやったらしく、夜会に疑いのかかる声もない。
俺は以前見た夢の中を思い出す。屋敷に火をつけて翠玉と緑玉を救い出す黒曜。彼は、手間がなくていい、と、俺に言った。
何もかも燃やし尽くしたら、確かに楽なのかもしれない。ただ、俺とサナギとパーシィが顔をつきあわせて、何日唸ったところで、きっと俺たちは放火には辿り着かないだろうとも思う。
だからいいとか、悪いとか言うつもりはない。要するに、俺たちには――いや、サナギとパーシィをこの内省に巻き込みたくはない――俺には、覚悟が足りていないのだ。
「……」
精神面での未熟さは痛感している。俺はこのままでいいのか?
「いいんだ」
背後から急に声をかけられて、俺は座っていた自室の椅子から二センチほど飛び上がった。
振り返ると、黒曜がいる。
「お前はそのままでいい」
「……声に出てたか?」
「タンジェ。冒険者だからと汚くある必要はない。お前が潔白であることは、お前の誇りだ」
「……」
黒曜は、俺が悩みを口にしていたかどうかはとうとう言わなかった。
俺が潔白であると、俺は思っちゃいない。妖魔を殺して報酬を得るのが生業のひとつである冒険者に、潔白なやつがいるわけがない。本当の潔白というのは、親父さんや娘さんのことだ。二人のことをそこまで深く理解しているわけじゃないが、きっとそうだ。
俺は中途半端だ。復讐を掲げて冒険者になったのに、成し遂げないままくすぶり、仲間を助けるのに何かを犠牲にしようって覚悟もない。
目を閉じれば、まだテントの炎が闇夜を舐めるあの情景が思い出せる。
「タンジェ」
「うお、まだいたのか」
俺の背後にまだ突っ立っていたらしい黒曜が、不意に言った。
「緑玉を助けてくれてありがとう」
「……」
「見ていた。鳥籠の鍵を外す手際――見事だった。俺や翠玉ではああはいかなかった。……お前がいてくれてよかった」
俺は中途半端だ。誰かを助けるのに放火なんて発想は出てこない。復讐も半ばで持ち帰り、敵と分かっている相手にも毎回逃げられる始末。オマケに盗賊役には向いてない。
だが。
それでも。
それならよかった、と思った。
仲間を、黒曜の大事なものを守れたなら、それでよかった、と。
盗賊役を引き受けてしまったことにも、こんなにも意味がある。
「はっ……仲間がピンチなら助けに行くさ」
「……そうか」
「それよりてめぇ、助けに行くなら黙って出てってんじゃねぇよ! 三日も顔出さねえで翠玉と二人行動しやがって!」
「……心配したか?」
「当たり前だろ!」
「当たり前、か」
黒曜は決して謝りはしなかった。きっと、最善を尽くしたと確信しているのだ。
こいつにとっての最善があの放火だったというなら、俺はそれを更新してやる。
そういう方法じゃないことも、今ならできるのだ、と。サナギは賢い男だし、パーシィがいれば戦略の幅は広がる。アノニムがいれば真っ向からの戦闘は怖くない。それに、
それに、俺がいれば。
俺がいれば、……鍵開けくらいはできる。
自分で自分が情けなくなったが、それ以外思いつかなかったのだから仕方ない。恥ずかしいので黒曜には言わない。
「タンジェはパーティの、いや……俺の」
黒曜は呟いた。
「精神的な支柱だ」
「あ……?」
ふ、と笑った。俺の好きな黒曜の笑顔だ。言ってることはよく分からなかったが、それを見れただけで得をした気分になる。
「何でもない。昼飯はまだか? 一緒にどうだ」
「おっおう、お、まあまだだが」
急に誘われたので、挙動不審になってしまった。
「ま、まあどうせ食うしな、一緒に、おう、一緒に食おうぜ」
黒曜は目を細めて、また笑った。
カジノだの、闇オークションだの。派手なだけで汚くて後ろ暗い、ろくでもない世界だった。
その中でもリカルドのような協力者がいて、黒曜や翠玉のような、悪辣な世界に立ち向かう者もいる。
そんな黒曜や仲間たちに、俺ができること。
少し考えただけじゃ分からなかったから、きっとこの議題とは長く付き合うことになるだろう。
それでもいい。時間をかけて探していこう。
俺の居場所はここなんだから、焦ることは何もないんだ。
【Over Night - High Roller 了】
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Over Night - High Roller 10
「てめぇよ、放火はやりすぎじゃねえのか」
小走りで併走しながら黒曜に聞くと、黒曜は「手間がなくていい」とすました顔で答えた。もちろん緑玉を助けるためだ。そもそも黒曜が善人ではないことくらいは分かっている。だが、これで死人が出たらえらいことだ。
「最初に手を出した奴らが悪い」
それはそうだ。俺だって善人じゃない。仲間をあんなふうにされて黙ってなんかいられない。
シャルマンの裏口付近は、炎から逃れようと逃げ惑う人が多すぎた。
シャルマンとオークション会場は決して遠くない。むしろ近いほうだ。燃え移るのも時間の問題だ。そもそも、パーシィはシャルマンの中にいるのか? 俺が顔を上げて黒曜に意見を聞こうとしたとき、
「絶景ですねぇ」
何度も聞いた小憎たらしい声がした。黒曜と一緒に振り返れば、テントの建てられた広場の隅に、横顔が炎に照らされたラヒズがいる。
「やあ、こんばんは。よく会いますねぇ」
「やっぱりてめぇか、ラヒズ!」
パーシィが『悪魔の気配』だと言った時点で心当たりは奴しかいなかったが、実際に会うとやはり怒りが勝つ。
「緑玉を攫ったのはてめぇの指図だな!?」
「実は、それは関係ないんですよ。彼を攫ったのは信者たちの勝手な判断でして」
「信者たち?」
黒曜が油断なく青龍刀を構えたまま、ラヒズに尋ねる。
「ええ。つい先日、ヤーラーダタ教団――私のほうで管理している新興宗教ですが――そちらでシャルマンを乗っ取らせていただいてまして」
そういや、こいつは一応『新興宗教の宣教師』だったか。
「……そんなことに何の意味がある」
「ちょっとヒトの欲望やらいろいろ欲しくてですね」
ラヒズは何てこともないように答えた。
「賭け事はいい、ヒトの負の感情が如実に出ますからね。まあそれはいいんです」
「そうだな、んなことはどうでもいい。てめぇはここでぶっ飛ばす!」
俺が逸り駆け出そうとすると、その前に黒曜が俺を制止した。俺が不満に思い黒曜を見上げると、
「パーシィはどうした?」
そういえばそうだった。
「ああ、彼なら――」
ラヒズは右腕の袖を捲り上げた。大きく火傷痕のようなものがある。
「私に不意打ちで聖なる力を喰らわせてきましたね。さすがに不意打ちは卑怯では? あのひと本当に元天使ですか?」
「てめぇ相手に卑怯もクソもあるか!」
悪魔から卑怯なんて言葉が出てくるとは思わなかった。ラヒズは右腕の袖を下ろして、
「さすがに二撃目は回避して、衆人環視のもとだったのであとは信者の黒服たちにお任せしたのですが……どうなりましたかね。黒服には強力な麻痺の呪文をあたえていますから」
「強力な麻痺の呪文。……それで緑玉も?」
「そういうことになるでしょうね」
ラヒズは肩を竦めた。
どっちにしろ、そもそも信者とやらに好き勝手させたこいつのせいだ。聞きたいことはもうない。俺は黒曜を押しのけて前に出ようとしたが、
「タンジェ!」
後ろから声がかかって、しぶしぶ振り返った。
炎のテントを背にしてよろけたパーシィがこちらに近付いてきている。
「パーシィ! てめぇを探してたんだ。黒服は?」
「火が回って俺どころじゃない」
パーシィは足を引きずっていた。麻痺がまだ残っているようだ。テントの火は強くなるばかり。こいつをここから逃がすならもう離れたほうがいい。
「……ちっ!」
俺は舌打ちして、パーシィに肩を貸した。
「黒曜、もうここにはいられねえ。火が!」
「分かっている。やむを得まい」
黒曜はそれでもラヒズを警戒していたが、
「ああよかった、右腕が動かないのでここでの戦闘は避けたかったんですよ。いや本当に、右腕が動かないので。誰かさんの不意打ちで」
「悪魔が根に持ってんじゃねえよ!」
俺が吐き捨ててもぜんぜん気にしていない様子で、
「それではまた会いましょうね、星数えの夜会ご一行」
と、ラヒズは踵を返して立ち去る。
「俺たちも早めに離れるぞ」
「なぁ、なんで急に火が……」
パーシィが掠れた声で言うものの、黒曜は無言で聞き流した。俺たちは手早くその場から離れた。オークション会場から、シャルマンに火が燃え移れば、天高く燃え上がるのは一瞬だった。道を走れば大規模な火消し隊とすれ違う。明日の朝に消火できているかも怪しい。
せめて近隣まで燃え移らなければいいが。
それと、放火犯が黒曜たちだとバレるのも避けたい。
リカルドは無事に逃げられただろうか。
この火事で無関係なやつらに死者は出ちまったか?
考えることが多い。だが、今はどうしようもない。ぼんやりと闇に伸びる炎を背に、俺たちは星数えの夜会へと帰った。
★・・・・
★・・・・
星数えに来たリカルドに、サナギが報酬を渡している。
「悪いね、散々な目に遭わせて」
「いや」
リカルドは注文したコーヒーを飲みながら、スカした態度で言った。
「タンジェリンを勝たせたということは、俺はディーラーとしてはあそこでかなり負けていた」
「……おう」
「燃えたおかげで、俺の悪い評判は立ちようもなくなったな」
「……」
……そういうの、気にするタイプだったんだな。なのに依頼を受けてくれたことには感謝しかない。
「まあ無事に逃げられていてよかったよ」
「本業は冒険者だ、異常事態の身の振り方は心得ている」
それもそうか、とサナギは言った。
「ありがとう。お疲れさま。大勝ちしたぶんのチップは当たり前だけど燃え落ちてしまったし、俺から出せる分はこれだけなんだ」
それでも結構重さのありそうな金貨袋を差し出す。
リカルドはそれを手元に引き寄せて中身を簡単に確認すると、
「確かに受け取った」
と言って頷いた。
「また午前三時の娯楽亭にも遊びに行くよ」
「……ドーピングは出禁にするか……」
「あはは!」
サナギはからっと笑った。リカルドもニヤリと口端を上げて、そのまま金貨袋を持って夜会を出て行った。
緑玉もパーシィも、麻痺についてはそう長く続くものでもないらしく、回復は順調だった。
緑玉は麻痺させられたあと何らかの魔法で昏睡状態にあったようだが、翌日になれば目を覚ましたし、片足を引き摺っていたパーシィも夜会に戻る頃にはかろうじて自立できるようになっていた。
「迷惑かけた……」
緑玉が気まずそうな顔をしている。だが、一番迷惑を被ったのは当の緑玉だろう。俺たちはみんな、一様に首を横に振った。
「怖かったね」
まるで子供をあやすように、サナギが緑玉に言う。そんな言い方と俺は思ったが、緑玉は俯いてたっぷり十秒は黙ったあと、
「…………うん」
と、ほんの小さな声で、肯定した。
人間に故郷を奪われ、奴隷として暮らし、今でも人間嫌いの緑玉の気持ちを考えると――緑玉は俺なんかの同情は望まないだろうが――いたたまれなくなる。かける言葉もないまま、俺はそっぽを向いていた。
そういえば長いこと留守にしていたアノニムだが、こちらは特に大きなトラブルというわけではなかったようだ。
単に個人で依頼を請け負っていたというだけの話らしい。
俺たちが昨晩、夜会に帰ってきたときにはすでに帰宅していて、俺がパーシィに肩を貸しているのを見ると不機嫌そうな顔になった。
「俺がいればその場の全員殺してやったのによ」
そんな大量殺戮をされたらたまったもんじゃない。事情も分からないままのアノニムにパーシィが、
「そうだな、きみがいたらもう少し話が早かったかも」
と言っていたが、アノニムがいたら話なんかややこしくなるだけだろう。ラヒズは……ぶちのめせたかもしれないが。
Over Night - High Roller 9
「……ん?」
不意にサナギが訝しげな顔をした。
「なんか、焦げ臭いな……」
焦げ臭い? ……俺は何も、と思ったが、サナギは今――まだ薬の効果が切れていないなら――感覚が鋭敏だ。なら、俺の気付かない臭いにも気付くに違いない。ということは……。
誰も気付いていないようで、オークションは進んでいた。次の品物がステージに上がったあたりで、テントの中に煙が立ちこめはじめた。
奥にいた参加者が立ち上がる。
「なんだ……!? 煙いぞ!」
「……火だ、おい、火だ!」
ざわめきが大きくなる。ぼん、と音がして、突如としてテントに炎が広がった。
「な……!?」
俺の見ている間に、たちまち燃え広がる炎。誰かがテントに火を点けたのだ!!
状況を理解した参加者が立ち上がり、パニックになりながら入口へ殺到する。競売人が落ち着くように必死に呼びかけている。
サナギは二、三度頷いてから、
「タンジェ! こっち!」
逃げ惑う参加者たちとは反対に、ステージに駆けていく。
「……!」
どさくさに紛れて、緑玉を攫っちまおうという算段に違いなかった。俺は迷わずサナギを追った。
ほどなくついたステージに跳び上がり、突然の炎と煙に戸惑う黒服や競売人の横をすり抜ける。
「お、おい!」
もちろん、俺とサナギを阻もうとするやつはいて、そいつらはこの状況下においても立ち塞がってきたが、
「邪魔だ!」
顔面に拳を叩き込んで、問答無用で黙らせた。
「やるね!」
「相手はパニックだ、楽勝だな!」
言葉にしたとおり、いくら手練れでも混乱してちゃまともな戦闘はできない。
サナギと俺はステージ脇に飛び込み、目立つ鳥籠をすぐに見つけた。黒服はステージに出ている分で全員らしく、鳥籠はノーガードだ。
サナギは鳥籠に駆け寄って、格子の間から緑玉を覗き込んだ。
「緑玉!」
緑玉はやはり意識がないようだ。数回呼んだが反応はなく、サナギはすぐに諦めた。鳥籠の扉に手をかけ、
「……開くわけないよね!」
「貸せ!」
俺はサナギを横にやって、しゃがみ込んで扉にかかる錠前を確認した。大丈夫だ、難しい鍵じゃない。俺はヘアピンを引き抜いて錠前外しを試みる。
「さすが盗賊役! 板についてきたね。きみと一緒でよかった」
返答する間も惜しんでヘアピンを角度調整しながら抜き差しすれば、手応えがあって錠前が外れた。
乱暴に錠前を放って扉を開け、中の緑玉を引きずり出す。
「俺たちも逃げるぞ!」
だが、サナギと俺が振り返ると、黒服が数人、すでに俺たちを取り囲んでいた。もうもうと立ち込める煙をまるで意に介さない。『商品』を今まさに盗まんとする俺たちに立腹のようだ。
「お前ら何者だ!?」
答える義理はない。さすがに斧は持って来れなかったから、徒手空拳でなんとかするしかない。俺はいつでもパンチが放てるように構えた。
が、実際に俺が相手を殴りつける前に、
「なんだお前――ぎゃ!」
遠くにいた黒服が悲鳴を上げて、突然血を吹き出して倒れた。驚いたのは黒服たちも同じで、慌てて振り返る頃にはもう一人、袈裟斬りに胸を斬られて倒れている。
黒服たちの間に、いっそう黒いしなやかな影がある。黒曜だった。
「黒曜!?」
「タンジェ、サナギ、こっちです!」
俺たちが黒曜に気付くのと同時に、テントの向こうから俺たちを呼ぶ声がある。見れば、テントに穴が開いていて、そこから翠玉がこちらに手を振っている。
俺はそれでいろいろと察したが、それを追及しているヒマはなかった。黒曜が炎の中で黒服たちを翻弄している間に、緑玉を抱えた俺とサナギは迷わず翠玉の案内に従った。
意識を失っている緑玉は決して軽くはなかったが、怪力を自負している俺にとって運ぶことはそう難しくはない。俺たちがテントの穴から外に出たことを横目で確認した黒曜が追ってきて、彼もまたテントの外へ。テントに放たれた火はごうごうと燃え盛っている。
入り口のほうはたいへんな騒ぎで、参加者がほとんど土砂崩れのようになっているのが小さく見えた。あのパニックでは、死人も出るかもしれない。
シャルマンのテントのほうには放火されていないようだが、リカルドは無事だろうか? そこで俺はパーシィのことを思い出した。
「パーシィはどこだ!? オークション会場じゃ見なかったよな!」
「ああ、見なかったね……。待って、俺、そろそろ限界かも」
さすがに感覚過敏状態での火災は堪えたらしい。サナギが言うので、
「分かった。パーシィは俺が探す。悪い黒曜、緑玉は頼んだ」
俺が緑玉を黒曜に任せようとすると、
「緑玉は私が。先に夜会に戻ります。黒曜はタンジェと……」
翠玉が引き受けた。女手で緑玉を抱えられるのかと心配していたら、平気な顔でひょいと緑玉を持ち上げたので、驚いて思わず一歩下がってしまった。その様子を見た翠玉が鳥がさえずるように笑う。
「行きましょうサナギ。まだ頑張れますか?」
「うん……頑張るよ。行こう!」
Over Night - High Roller 8
「さあ、次は今回の目玉です! 希少価値の高い孔雀の獣人です!」
サナギがちらと顔を上げた。獣人はたくさんいるが、孔雀となれば数は限られる。このタイミングで出されるなら間違いなく緑玉だ!
ステージに巨大な鳥籠が運び込まれる。中に入れられているのが遠目でも緑玉だと分かった。意識があれば暴れてもおかしくないはずだ、眠らされているか……何らかで無力化されている。
「秀麗で体格もよい、優れた個体です!」
「耳を塞いでいていいよ」
サナギはすました顔をしていたし、声も震えていなかったが、心底、このオークションを軽蔑した顔をしていた。俺は数瞬遅れてサナギの言葉の意図を理解し、
「いや……確かに胸糞は悪いが。……こういう世界もあることを、知っておかなくちゃならねえと思う」
真面目だね、とサナギは言った。競売人がつらつらと緑玉のことを紹介している。いかに競売欲をそそるか、それしか考えていない、計算された言葉で。
「さあ、では1万から! どうぞ!」
「1万5000!」
「2万!」
開始の金額が高いし、ペースもさっきまでより遥かに早い。あちこちで数字が叫ばれ、札が挙げられる。
「4万5000! 他に入札は!」
「5万!」
サナギが札を挙げた。俺の稼いだ、いや、リカルドが俺に稼がせたチップが、一瞬だ。
「5万5000!」
「5万7000!」
「6万!」
一人、やけにしつこいヤツがいる。札を挙げているのは、恰幅のいい男だ。サナギは珍しく忌々しそうに小さく舌打ちした。
「7万!」
「7万5000!」
もちろん諦めるわけにはいかない。少なくともこちらには、サナギが稼いだ分の8万Gとあわせて13万の軍資金がある。
だが……この調子だと、いくらまでいくんだ? 奴隷の値段なんて考えたこともない。俺が見守る中、サナギともう一人は、ほとんどノータイムで相手の金額の5000G上を叫び合っている。
「10万!」
さすがに10万を通り過ぎればどよめきも広がってきた。あと3万で相手は諦めるか? 当然だが、追い縋られたところで相手に譲ることはできない。
「10万5000!」
「10万7000!」
「11万!」
自分のためにサナギがこんな大声を出していると知ったら、緑玉はどんな顔をするだろうか。それとも、自分に値段を付ける仲間は見たくないだろうか。そうだな、俺は見たくねえな、と思った。もっとも、俺なんか値段を付ける土俵にすら立てやしないだろうが。
「12万!」
相手の提示金額が、1万飛んだ。おお、と周囲がざわめく。どんだけの金を用意してるんだ!?
「12万2000!」
だがサナギはまったく怯みはしなかった。
「12万5000!」
とはいえ、
「12万7000!」
俺たちの手持ちの金額は近付いている。
「13万!」
……!
だが、相手も容赦はない。
「13万5000!」
予算オーバーだ……!
サナギは迷わなかった。
「14万!」
「おい……!?」
俺の計算が間違ってなければ、俺たちの稼いだ分はもうオーバーしている。これでは、競り落とせても払えない!
「14万3000!」
「15万!」
サナギが畳み掛ける。沈黙。沈黙だ。ようやく、相手の男が黙った。この入札を見届けていた人々も、固唾を呑んで行く末を見守る。あのハンマーが鳴るまでは、誰しもが高値更新できる。
「じゅ……15万! 15万です! これ以上の入札は! ございませんか!」
競売人が声を張り上げる。沈黙していた人々が少しどよめいた、が、札は上がらなかった。
「……ハンマープライス! 15万! 24番様、落札です!」
24番はサナギの持つ札の数字だ。
お、終わった……! しかし、予算を2万もオーバーしている。大丈夫なのか?
サナギはふーっと息を吐いた。
「いやぁ、粘られたね」
「まあ、落札できたからよかったけどよ……15万、支払えんのか?」
何か策があるのだろうとは思ったが、念のため聞いてみた。サナギは「支払い?」と言って、ヤケクソのように笑った。
「いざとなったら腕があるじゃないか、腕が」
「腕?」
「タンジェの腕だよ。黒服をこう……組み伏せて、ね?」
「……」
実力行使じゃねえか!!
「じゃあ、13万以上のGは……!」
「ないよ。俺が最初に交換したチップも1000G程度分しかなかったし」
サナギは平気な顔をして言うが、よくもまあ、持ってもいない金を上乗せしたものだ。こいつの度胸には感心させられる。
ステージ上の鳥籠が、ステージ脇へと移動させられていく。サナギはそれを見て立ち上がった。
「さ、ここにはもう用はない。交換してもらいに行こう」
Over Night - High Roller 7
それからも俺は順当に勝ち続ける。とはいえ、さすがに小さな勝ちを積み重ねて、時折スプレッド3〜1のでかい手をもらう程度だ。それでも明らかに不審がる者ももちろんいたが、そのくらい派手にやらないと目立たない。
二度目のレッドドッグが決まったとき、俺は不意に背後から声をかけられた。
「今日はツイてるみたいですね、お若い方」
柔和な物腰の紳士だ。背後に黒い服を着た屈強な男が二人立っている。
俺が黙って肩を竦めると、紳士は俺のことを値踏みするように眺め、それから、
「その稼いだ大量のチップ、ぜひ『第二部』で使いませんか?」
来た……!
俺は何も知らない顔をして「第二部?」と言った。
「ここより面白いものがあんのかよ?」
「ええ、ええ――保証しましょう。スリリングな体験をね」
紳士が黒服たちに合図を送る。黒服たちは俺のチップを「間違いなく預かる」と言って、番号札のついた鍵と引き替えに回収した。
黒服の一人が俺を案内してくれるようだ。席を立ちレッドドッグのテーブルから離れる。黒服がテントの奥の奥へと進んでいく。周囲を軽く観察したが、サナギとパーシィの姿は見当たらなかった。
テントの奥にある裏口から渡り廊下があって、それを渡れば、もう一つ頑強なテントが建っている。大きさはパッと見てシャルマンよりは小さかったが、質が明らかにあちらより上だと分かる。しっかり防音しているらしく、中の声も決して漏れ出てはこなかった。
ここが闇オークション会場か。
「中にいる者から説明を聞け」
黒服が淡々と言い残して去っていく。俺はその言葉の通りにテントの中に入った。
ゆらゆらと天井から提げられたシャンデリアの火がゆらめく。ステージに立つ男は上等なスーツを着込んでいる。ステージには首だけのマネキンに首飾りが着けられていて、男はこの首飾りがいかに美しく、高価で、そして魔性であるかを熱弁していた。
「この『貴婦人の血涙』は、手にした者にあらゆる富と名誉を与えます。しかし同時に破滅ももたらしてきました。始まりはルビー夫人から、直近ではフランチェスカ夫人まで、ことごとく非業の死を遂げています!」
そんなもん、誰が欲しがるんだよ。
呆れながら中の受付らしきところに寄ると、番号札が渡された。入札を希望する場合に挙げてください、とのことだ。それから、入札の最小単位は100であること、競り落とした品はのちほど引き渡しになることなどを説明された。俺は適当に頷いた。
席を探してうろついていると、サナギを見つけた。サナギの金髪にほど近い緑の髪は目立つ。サナギの周囲の席はあいていた、というより、サナギがあいている席を選んだのだろう。俺はサナギの横に腰掛けた。
「予定通りだね。お疲れさま。どのくらい稼いだ?」
サナギは俺のほうを見ずに尋ねた。
「黒いのを500枚くらいだ」
「やるねぇ……!」
口元に笑みが浮かんだのが見えた。
「1枚いくらくらいなんだ?」
「黒なら、1枚100Gだよ」
「ひゃく……」
ゼロが多すぎて一瞬で計算できない。サナギは笑って、
「5万G」
俺は息を呑んだ。たった数時間で、5万G!?
いや、もちろん俺の力じゃない。これはリカルドが俺に稼がせた額だ。しかし、命の危険もなく、ただ座ってるだけで、5万G……。
「俺の取り分と合わせれば、充分戦えるね」
「てめぇ、いくら稼いだんだ?」
「8万Gくらい」
それで『充分戦える』レベルかと目まいがした。とんでもねえな、闇オークション……。
話している間に、『貴婦人の血涙』とやらの入札が始まり、値段がつり上がっていく。
「1000!」
あっという間に1000の大台を超えてしまった。どう聞いても不吉なものだと思うのだが、こいつら話聞いてたのか?
「1500!」
「1700!」
「2000!」
……。
俺が圧倒されていると、
「1万はいくだろうね」
「1万……って、単位は……Gだよな?」
「うん」
サナギの言うとおり、値段は瞬く間につり上がっていく。5000、の声を皮切りに、入札単位は1000Gを平気で超えるようになる。
「1万!」
「1万2000!」
それから、会場が静まる。
「1万2000! これ以上の入札はございませんか!」
数秒を待ち、反応がないことを確認した競売人が、大きくハンマーを打ち鳴らした。
「ハンマープライス、1万2000! 56番様が落札です!」
拍手が起こる。
何もかも縁が無い世界だ。
いや、今こうしてここにいることで、縁はできてしまっているのかもしれない。俺は心底、それを嫌だと思った。好きになれない。
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