- 2024.05.10
Over Night - High Roller 11
- 2024.05.10
Over Night - High Roller 10
- 2024.05.10
Over Night - High Roller 9
- 2024.05.10
Over Night - High Roller 8
- 2024.05.10
Over Night - High Roller 7
Over Night - High Roller 11
シャルマンは派手に燃え落ちた。死傷者は数十名に上る。死者の中には、フレンチェカ領の貴族ピエール・ナリンが含まれていたらしい――風の噂だ。それでタンジェは思い出した。緑玉を巡って長いことサナギと競っていたあの男、あいつは数か月前に盗賊ギルドで見かけたいけ好かない貴族だ。宝石眼を求めていたが、緑玉がそうと知って競り落とそうとしたのだろうか? 今となっては知る由もないし、どうでもいいことだ。
客も運営の黒服も、そしてテントも失い、シャルマンは跡形もなく消え去った。それで終わりだ。
もちろん、ベルベルントの治安隊は放火犯を捜している。黒曜と翠玉は相当上手くやったらしい。姿を黒服に目撃されていた黒曜がいてなお夜会に疑いがかからないということは、あのときの黒服は全員、もう証言はできないのだろう。
タンジェは以前見た夢の中を思い出す。屋敷に火をつけて翠玉と緑玉を救い出す黒曜。彼は、手間がなくていい、と言った。
何もかも燃やし尽くしたら、確かに楽なのかもしれない。ただ、タンジェが何日、首を捻って唸ったところで、きっと放火には辿り着かないだろうとも思う。だからいいとか悪いとか言うつもりはない。要するに、タンジェには覚悟が足りていないのだ。
精神面での未熟さは痛感している。――俺はこのままでいいのか?
「いいんだ」
背後から急に声をかけられて、タンジェは座っていた自室の椅子から2cmほど飛び上がった。振り返れば黒曜がいる。
「お前はそのままでいい」
「……声に出てたか?」
「タンジェ。冒険者だからと汚くある必要はない。お前が潔白であることは、お前の誇りだ」
「……」
黒曜は、タンジェが悩みを口にしていたかどうかはとうとう言わなかった。
自分が潔白であると、タンジェは思っていない。害獣、妖魔、タンジェは多くの生き物を殺してきたし、そしてこれからも手にかける。それを悲観してはいない。潔白の冒険者なんかいるはずはないのだ。タンジェもまた、然り。それだけだ。
本当の潔白というのは、親父さんや娘さんのことだ。2人のことをそこまで深く理解しているわけじゃないが、きっとそうだ。
ただ、自分は中途半端だ、とタンジェは思う。
復讐を志し冒険者になったのに、成し遂げないままくすぶり、仲間を助けるのに何かを犠牲にしようという覚悟もない。
目を閉じれば、まだテントの炎が闇夜を舐めるあの情景が思い出せる。
「タンジェ」
「うお、まだいたのか」
タンジェの背後にまだ突っ立っていたらしい黒曜が、不意に言った。
「緑玉を助けてくれてありがとう」
「……」
「見ていた。鳥籠の鍵を外す手際――見事だった。俺や翠玉ではああはいかない。……お前がいてくれてよかった」
誰かを助けるための放火なんて発想は、タンジェには出てこない。
復讐も半ばで持ち帰り、敵と分かっている相手にも毎回逃げられる始末。オマケに盗賊役には向いてない。
けれど、この拙い手で、握っているのが斧でなくても、仲間を、黒曜の大事なものを救うことができた。それならあそこにいたことに、盗賊役を引き受けたことにも、その甲斐があった。
「はっ、礼を言われるようなことじゃねえよ」
「……そうか」
「それよりてめぇ、黙って出てってんじゃねぇよ! 3日も顔出さねえで翠玉と2人行動しやがって!」
「……心配したか?」
「当たり前だろ!」
「当たり前、か」
黒曜は決して謝りはしなかった。きっと、謝る理由が、彼にはない。最善を尽くしたと確信しているのだ。
だが、黒曜にとっての最善があの放火だったというなら、タンジェはそれを更新してやるつもりだ。そういう方法じゃないことも、今ならできるのだ、と。
サナギは賢い男だし、パーシィがいれば戦略の幅は広がる。アノニムがいれば真っ向からの戦闘は怖くない。……そこまで考えて、偉そうなことを言っても結局パーティメンバー頼りか、と、自分に呆れる。
自分には何ができるだろう? 盗賊役としてもまだ未熟だ。タンジェがパーティに貢献できることは多くない。
できることを脳内で探し、難しい顔で腕を組むタンジェ。その様子を見つめていた黒曜は、
「ただいま、タンジェ」
「あ? ああ……おかえり」
ふ、と笑った。黒曜がごくまれに見せる、淡い笑顔。何故、このタイミングで言われたのかは分からなかったが、まあ笑顔が伴うなら好意的な意味があるのだろう。それに、黒曜の笑顔は希少だ。それが見れただけで得をした気分になる。
「昼飯はまだか?」
黒曜は話を変えた。
「一緒にどうだ」
「おっおう、お、まあまだだが」
急に誘われたので、タンジェは挙動不審になった。それでもなんとか応じ、
「ま、まあどうせ食うしな、一緒に、おう、一緒に食おうぜ」
黒曜は目を細めて、また笑った。
カジノだの、闇オークションだの、派手なだけで汚くて後ろ暗い、ろくでもない世界だった。その中にもリカルドのような協力者がいて、黒曜や翠玉のような、悪辣な世界に立ち向かう者もいる。
彼らと肩を並べて戦えるくらい、いやそれ以上に、強くなりたい。強ければ、黒曜がすべてを燃やすことを決断する前に、俺がなんとかしてやると胸を張れたはずだった。もちろんそれだけのためじゃない。タンジェの中途半端な心持ちと立場は、強さが解決してくれるはずだ。もしかしたら、覚悟すらも。
ただ、まだ遠い。もしまだ背中しか見えないのなら、追いかけて、追いつき、追い越すのに、タンジェは何をどのくらい積み重ねればいいのだろう?
一夜のうちに大金を賭け、莫大なリターンを得る、ハイ・ローラーの生きざまもあるだろう。
ぼーっとしているうちに必要なものが手に入るようなイカサマもある。
けれど、今回限りで充分だ。タンジェはそんなもの望まないし、頼らない。
鍛錬を積み重ねることだ。経験を積むことだ。それがタンジェが前へと進む方法だ。結局、そんなシンプルな答えになる。
この歩みの先に、本当に"強い自分"がいるのかは分からない。タンジェの強さには限界があるかもしれない。けれど黒曜とならどこまでも強くなれると思った、あの日の自分に嘘はない。
タンジェは自分に賭けるしかないのだ。不明瞭な未来に、それでも昨日より強い自分を信じて。
でもそれに悲観することはない。だってきっと、一発逆転を狙うギャンブルなんかではないはずだ。
Over Night - High Roller 10
シャルマンの裏口付近は、炎から逃れようと逃げ惑う人で大混乱だ。
シャルマンとオークション会場は大して長くもない渡り廊下で繋がれただけの、ごく近距離にある。火がシャルマンに燃え移るのも時間の問題だ。そもそもパーシィはシャルマンの中にいるのか? タンジェが顔を上げて黒曜に意見を聞こうとしたとき、
「絶景ですねぇ」
何度も聞いた小憎たらしい声がした。黒曜と一緒に振り返れば、テントの建てられた広場の隅に、横顔が炎に照らされたラヒズがいる。
「やあ、こんばんは。よく会いますねぇ」
「やっぱりてめぇか、ラヒズ!」
パーシィが「悪魔の気配」だと言った時点で心当たりは奴しかいなかったが、実際に会うとやはり怒りが勝つ。
「緑玉を攫ったのはてめぇの指図だな!?」
「実は、それは関係ないんですよ。彼を攫ったのは信者たちの勝手な判断でして」
「信者たち?」
黒曜が油断なく青龍刀を構えたまま、ラヒズに尋ねる。タンジェも構えたかったが、斧はない。もどかしく思いつつ、とりあえず殴れるように構えだけ取る。ラヒズはタンジェのそのさまをにこにこと見守っていたが、
「ええ。つい先日、ヤーラーダタ教団――私のほうで管理している新興宗教ですが――そちらでシャルマンを乗っ取らせていただいてまして」
確か、ラヒズは『新興宗教の宣教師』だったか。だが、
「……そんなことに何の意味がある」
「ちょっとヒトの欲望やらいろいろ欲しくてですね」
ラヒズは何てこともないように答えた。
「賭け事はいい、ヒトの負の感情が如実に出ますからね。まあそれはいいんです」
「そうだな、んなことはどうでもいい。てめぇはここでぶっ飛ばす!」
タンジェが駆け出そうとしたが、黒曜が腕で制止した。やむを得ず立ち止まる。その手をどけろとタンジェが黒曜を睨むが、黒曜はタンジェを見てもいない。
「パーシィはどうした」
「ああ、彼なら――」
ラヒズは右腕の袖を捲り上げた。大きく火傷痕のようなものがある。
「私に不意打ちで聖なる力を喰らわせてきましたね。さすがに不意打ちは卑怯では? あのひと本当に元天使ですか?」
「今さら不意打ちくらいでゴタゴタ言うんじゃねえよ。カンバラの里でも俺に喰らっただろうが」
「あれはいい不意打ち、これは悪い不意打ちです」
不意打ちにいいも悪いもあるかよ、とタンジェは吐き捨てた。元より悪魔の感性なんか知ったことではないが。
ラヒズは袖を下ろす。
「さすがに追撃は回避して、衆人環視のもとだったのであとは信者の黒服たちにお任せしたのですが……どうなりましたかね。黒服には強力な麻痺の呪文をあたえていますから」
「強力な麻痺の呪文。……それで緑玉も?」
「そういうことになるでしょうね」
ラヒズは肩を竦めた。
どっちにしろ、そもそも信者とやらに好き勝手させたラヒズのせいだ。聞きたいことはもうない。タンジェは黒曜を押しのけて前に出ようとしたが、
「タンジェ!」
後ろから声がかかって、しぶしぶ振り返った。炎のテントを背にしてよろけたパーシィがこちらに近付いてきている。
「パーシィ! てめぇを探してたんだ。黒服は?」
「火が回って俺どころじゃない」
パーシィは足を引きずっていた。麻痺がまだ残っているようだ。テントの火は強くなるばかり。……パーシィをここから逃がすなら、もう離れたほうがいい。
「……ちっ!」
タンジェは舌打ちして、パーシィに肩を貸した。
「黒曜、もうここにはいられねえ。火が!」
「分かっている。やむを得まい」
黒曜はそれでもラヒズを警戒していたが、
「ああよかった、右腕が動かないのでここでの戦闘は避けたかったんですよ。いや本当に、右腕が動かないので。誰かさんの不意打ちで」
「おいパーシィ、もう一発喰らわせてやれ」
パーシィが聖なる力の一撃を与えようとその指先に力を籠める前に、
「それではまた会いましょうね、星数えの夜会ご一行」
と、ラヒズは踵を返して立ち去る。
「俺たちも早めに離れるぞ」
「くそ、痺れさえなければもう一発くらい……それにしてもなんで火が……」
指先を下ろしたパーシィが掠れた声で言うものの、黒曜は無言で聞き流した。
タンジェたちは手早くその場から離れる。オークション会場からシャルマンに火が燃え移れば、天高く燃え上がるのは一瞬だった。夜会まで走る道中、大規模な火消し隊とすれ違う。明日の朝に消火できているかも怪しい。
せめてこれ以上、燃え広がらなければいいが……。
それと、放火犯が黒曜たちだとバレるのも避けたい。
リカルドは無事に逃げられただろうか。
無関係な人々への被害はどの程度だろう?
考えることが多い。だが、今はどうしようもない。ぼんやりと闇に伸びる炎を背に、3人は星数えの夜会へと帰った。
★・・・・
星数えの夜会に来たリカルドに、サナギが報酬を渡している。
「悪いね、散々な目に遭わせて」
「いや」
リカルドは注文したコーヒーを飲みながら、スカした態度で言った。
「タンジェリンを勝たせたということは、俺はディーラーとしてはあそこでかなり負けていた」
「……おう」
「燃えたおかげで、俺の悪い評判は立ちようもなくなったな」
「……」
そういうことを気にするタイプだったらしい。なのにイカサマの依頼を受けたのだ。感謝するべきだろう。
「まあ無事に逃げられていてよかったよ」
「本業は冒険者だ、異常事態の身の振り方は心得ている」
それもそうか、とサナギは言った。
「ありがとう。お疲れさま。大勝ちしたぶんのチップは当たり前だけど燃え落ちてしまったし、俺から出せる分はこれだけなんだ」
それでも結構重さのありそうな金貨袋を差し出す。リカルドはそれを手元に引き寄せて中身を簡単に確認すると、
「確かに受け取った」
と言って頷いた。
「また午前3時の娯楽亭にも遊びに行くよ」
「……ドーピングは出禁にするか……」
「あはは!」
サナギはからっと笑った。リカルドもニヤリと口端を上げて、そのまま金貨袋を持って夜会を出て行った。
緑玉もパーシィも、麻痺についてはそう長く続くものでもないらしく、回復は順調だった。
緑玉は麻痺させられたあと何らかの魔法で昏睡状態にあったようだが、翌日になれば目を覚ましたし、片足を引き摺っていたパーシィも夜会に戻る頃にはかろうじて自立できるようになっていた。
「迷惑かけた……」
緑玉が気まずそうな顔をしている。だが、一番迷惑を被ったのは当の緑玉だろう。タンジェもパーシィも、黒曜も翠玉も、首を横に振った。
「怖かったね」
まるで子供をあやすように、サナギが緑玉に言う。言い方に苦言を呈そうかタンジェが迷っている間、緑玉は黙っていたが、
「…………うん」
やがて、ほんの小さな声で、肯定した。
人間に故郷を奪われ、奴隷として暮らし、今でも人間嫌いの緑玉の気持ちを考えると――緑玉はタンジェなんかの同情は望まないだろうが――いたたまれなくなる。とはいえかける言葉はない。タンジェはサナギが緑玉の頭を撫でるのを黙って眺めていた。
そういえば長いこと留守にしていたアノニムだが、こちらは特に大きなトラブルというわけではなかったようだ。単に個人で依頼を請け負っていただけとのことである。
タンジェたちが昨晩、夜会に帰ってきたときにはすでに帰宅していて、タンジェがパーシィに肩を貸しているのを見ると不機嫌そうな顔になった。
「俺がいればその場の全員殺してやったのによ」
そんな大量殺戮をされたらたまったもんじゃない。事情も分からないままのアノニムにパーシィが、
「そうだな、きみがいたらもう少し話が早かったかも」
と言っていたが、アノニムがいたら話なんかややこしくなるだけだろう。ラヒズは……ぶちのめせたかもしれないが。
Over Night - High Roller 9
「……ん?」
不意にサナギが訝しげな顔をした。
「なんか、焦げ臭いな……」
「あ? ……そうか? 俺は別に何も……」
言ったあと、気付く。サナギは今――まだ薬の効果が切れていないなら――感覚が鋭敏だ。ならばタンジェの気付かない臭いにも気付くに違いない。ということは……。
誰も気付いていないようで、オークションは進んでいた。次の品物がステージに上がったあたりで、テントの中に煙が立ちこめはじめた。
ステージ寄りの席にいた参加者が立ち上がる。
「なんだ……!? 煙いぞ!」
「……火だ、おい、火だ!」
ざわめきが大きくなる。ぼん、と音がして、突如としてテントに炎が広がった。
「な……!?」
見ている間に、たちまち燃え広がる炎。誰かがテントに火を点けたのだ!!
状況を理解した客が立ち上がり、パニックになりながら入口へ殺到する。競売人が落ち着くように必死に呼びかけている。
サナギは二、三度頷いてから、
「タンジェ! こっち!」
逃げ惑う参加者たちとは反対に、ステージに駆けていく。
「……!」
どさくさに紛れて緑玉を攫ってしまおうという算段に違いなかった。タンジェは迷わずサナギを追う。
ほどなくついたステージに跳び上がり、突然の炎と煙に戸惑う黒服や競売人の横をすり抜ける。
「お、おい!」
もちろん、タンジェとサナギを阻もうとするやつはいて、そいつらはこの状況下においても立ち塞がってきたが、
「邪魔だ!」
顔面に拳を叩き込んで、問答無用で黙らせた。
「やるね!」
「相手はパニックだ、楽勝だな!」
言葉にしたとおり、いくら手練れでも混乱していてはまともな戦闘はできない。タンジェは徒手空拳で黒服を数人薙ぎ倒した。
サナギとタンジェはステージ脇に飛び込み、目立つ鳥籠をすぐに見つけた。黒服は火を消そうと火元に近づいたり、観客を逃がしたり……あるいはタンジェに殴られて伸びていたりしていて、鳥籠はノーガードだ。
サナギは鳥籠に駆け寄って、格子の間から緑玉を覗き込んだ。
「緑玉!」
緑玉はやはり意識がないようだ。数回呼んだが反応はなく、サナギはすぐに諦めた。鳥籠の扉に手をかけ、
「……開くわけないよね!」
「貸せ!」
タンジェはサナギを横にやって、しゃがみ込んで扉にかかる錠前を確認した。大丈夫だ、難しい鍵じゃない。タンジェはヘアピンを引き抜いて錠前外しを試みる。
「さすが盗賊役! 板についてきたね。きみと一緒でよかった」
返答する間も惜しんでヘアピンを角度調整しながら抜き差しすれば、手応えがあって錠前が外れた。
乱暴に錠前を放って扉を開け、中の緑玉を引きずり出す。
「俺たちも逃げるぞ!」
だが、サナギとタンジェが振り返ると、黒服が数人、すでにこちらを取り囲んでいた。消火や客の避難誘導を諦めたやつらが戻ってきたらしい。それよりも大事な『商品』を盗まれることのほうが重要なのだろう。もうもうと立ち込める煙をまるで意に介さず、黒服は叫んだ。
「お前ら何者だ!?」
答える義理はない。斧はないから、己の肉体のみでなんとかするしかない。タンジェはいつでもパンチが放てるように構えた。
が、実際にタンジェが相手を殴りつける前に、
「なんだお前――ぎゃ!」
遠くにいた黒服が悲鳴を上げて、突然血を吹き出して倒れた。仲間の黒服が慌てて振り返る頃にはもう一人、袈裟斬りに胸を斬られて倒れている。
黒服たちの間に、いっそう黒いしなやかな影がある。黒曜だった。
「黒曜!?」
「タンジェ、サナギ、こっちです!」
黒曜に気付くのと同時に、テントの向こうからタンジェたちを呼ぶ声がある。見れば、テントに穴が開いていて、そこから翠玉がこちらに手を振っている。
テントに穴――放火――消息不明だった黒曜と翠玉。いくら鈍いタンジェでも察せることはある、が、それを追及しているヒマはなかった。黒曜が炎の中で黒服たちを翻弄している間に、緑玉を抱えたタンジェとサナギは迷わず翠玉の案内に従った。
意識を失っている緑玉は決して軽くはなかったが、怪力を自負しているタンジェにとって運ぶことはそう難しくはない。タンジェたちがテントの穴から外に出たことを横目で確認した黒曜が追ってきて、彼もまたテントの外へ。テントに放たれた火はごうごうと燃え盛っている。
入口のほうはたいへんな騒ぎで、参加者がほとんど土砂崩れのようになっているのが小さく見えた。あのパニックでは、死人も出るかもしれない。
今のところシャルマンのテントのほうには火は回っていないようだが、リカルドは無事だろうか? ……そこでタンジェはパーシィのことを思い出した。
「パーシィはどこだ!? オークション会場じゃ見なかったよな!」
「ああ、見なかったね……。待って、俺、そろそろ限界かも」
さすがに感覚過敏状態での火災は堪えたらしい。サナギが言うので、
「分かった。パーシィは俺が探す。悪い黒曜、緑玉は頼んだ」
タンジェが緑玉を黒曜に任せようとすると、
「緑玉は私が。サナギと先に夜会に戻ります。黒曜はタンジェと……」
翠玉が引き受けた。女手で緑玉を抱えられるのかと心配していたら、平気な顔でひょいと緑玉を持ち上げたので、驚いて思わず一歩下がってしまった。その様子を見た翠玉が鳥がさえずるように笑う。
「さあ、行きましょうサナギ。まだ頑張れますか?」
「うん……頑張るよ。行こう!」
緑玉を抱えた翠玉とサナギがその場を立ち去るのと同時に、タンジェは黒曜と2人でパニックが広がるばかりのシャルマンへと近づく。
「てめぇよ、放火はやりすぎじゃねえのか」
小走りで併走しながら黒曜に聞くと、黒曜は「手間がなくていい」とすました顔で答えた。もちろん緑玉を助けるためなのは分かっている。だが釈然としない。だって、この火がなくても、タンジェとサナギは緑玉のもとまで辿りついた。……もちろん、あのあと黒服に囲まれて無事であった保証はないが、それでもタンジェに負ける気はなかったのだ。
黒曜はタンジェの不満そうな顔をチラと見て、
「最初に手を出した奴らが悪い」
もちろん、それを否定する気はない。タンジェはあくまで、黒曜がこんなふうに手を汚さなくても自分は戦えたと主張したいだけだ。黒曜はそれ以上、何を言うでもなかった。
Over Night - High Roller 8
「さあ、次は今回の目玉です! 希少価値の高い孔雀の獣人です!」
サナギがちらと顔を上げた。獣人はたくさんいるが、孔雀となれば数は限られる。このタイミングで出されるなら間違いなく緑玉だ!
ステージに巨大な鳥籠が運び込まれる。中に入れられているのが遠目でも緑玉だと分かった。意識があれば暴れてもおかしくないはずだ、眠らされているか……少なくとも無力化されている。
「秀麗で体格もよい、優れた個体です! 奴隷に、夜の供にいかがでしょうか!」
「耳を塞いでいていいよ」
サナギの声色からは、動揺も、憤慨も感じられなかった。ただ、心底、このオークションを軽蔑している。いつも好奇心にまたたく瞳がごく冷めている。タンジェは数瞬遅れてサナギの言葉の意図を理解し、
「……確かに胸糞は悪ぃな。ただ、こういう世界もあるってことは、知っておくべきなんじゃねえか」
真面目だね、とサナギは言った。競売人がつらつらと緑玉のことを紹介している。顔も身体も髪も綺麗で質がよいとか、見れば分かることばかり。てめぇらは知らねえだろうが、とタンジェは思う。そんな言葉で紹介しきれるような、シンプルな野郎じゃねえんだ、そいつは。
「さあ、では10万から! どうぞ!」
「10万5000!」
「20万!」
開始の金額が今までとは文字通り桁違いだ。ペースもさっきまでより遥かに早い。あちこちで数字が叫ばれ、札が挙げられる。
「40万! 他に入札は!」
「50万!」
サナギが札を挙げた。タンジェの稼いだ、いや、リカルドがタンジェに稼がせたチップが、一瞬だ。
「55万!」
「57万!」
「60万!」
一人、やけにしつこいヤツがいる。札を挙げているのは、恰幅のいい男だ。こちらから見れば斜め前方なので顔は見えないのだが、タンジェはなんだかそいつを見たことがある気がした。撫でつけられた金髪……。どこで見たのか? 思い出せない時点で大した知り合いではないとは思うのだが……。
サナギは珍しく忌々しそうに小さく舌打ちした。
「70万!」
「75万!」
もちろん諦めるわけにはいかない。少なくともこちらには、サナギが稼いだ分の80万Gldとあわせて130万Gldの軍資金がある。
だが……この調子だと、いくらまでいくのだろうか? 獣人の値段なんて考えたこともない。タンジェと周囲が固唾を呑んで見守る中、サナギともう一人は、ほとんどノータイムで相手の金額を1万Gld以上、上回る金額を叫び合っている。
「100万!」
さすがに100万Gldを通り過ぎればどよめきも広がってきた。あと30万Gldで相手は諦めるだろうか? 当然だが、追い縋られたところで相手に譲ることはできない。
「105万!」
「107万!」
「110万!」
自分のためにサナギがこんな大声を出していると知ったら、緑玉はどんな顔をするだろうか、なんてことを考える。それとも、自分に値段を付ける仲間は見たくないだろうか。そりゃそうだ、こんなもの、いい経験なわけがない。緑玉にとっても、サナギにとってもだ。
「120万!」
もはや1万以上の高値更新は普通で、10万上乗せすると周囲が少しざわめく。まるで周囲は観客で、サナギと相手の応酬をエンターテインメントのように楽しんでいた。
「122万!」
だがサナギはまったく怯みはしなかった。
「125万!」
とはいえ、
「127万!」
こちらの手持ちの金額は近付いている。
「130万!」
……!
だが、相手も容赦はない。
「135万!」
予算オーバーだ!
サナギは迷わなかった。
「140万!」
「おい……!?」
タンジェの計算が間違っていなければ、こちらの稼いだ分はもうオーバーしている。これでは、競り落とせても払えない!
「143万!」
「150万!」
サナギが畳み掛ける。沈黙。沈黙だ。ようやく、相手の男が黙った。この入札を見届けていた人々も、ここまで来たらもう黙って行く末を見守るのみだ。
「ひゃ……150万! 150万です! これ以上の入札は! ございませんか!」
競売人が声を張り上げる。あのハンマーが鳴るまでは、誰しもが高値更新できる。沈黙していた人々が少しどよめいた、が、札は上がらなかった。
「……ハンマープライス! 150万! 24番様、落札です!」
24番はサナギの持つ札の数字だ。終わった……!
しかし、予算を20万もオーバーしている。大丈夫なのか?
サナギはふーっと息を吐いた。
「いやぁ、粘られたね」
「まあ、落札できたからよかったけどよ……150万、支払えんのか?」
何か策があるのだろうとは思ったが、念のため聞いてみた。サナギは「支払い?」と言って、ヤケクソのように笑った。
「いざとなったら腕があるじゃないか、腕が」
「腕?」
「タンジェの腕だよ。黒服をこう……組み伏せて、ね?」
「……」
タンジェはたっぷり数秒黙ったあと、言葉の意味を理解し、
「実力行使じゃねぇか!!」
「そうだよ」
「じゃあ、130万以上のGldは……!」
「ないよ。俺が最初に交換したチップも1000Gld程度分しかなかったし」
サナギは平気な顔をして言うが、よくもまあ、持ってもいない金を上乗せしたものだ。大した度胸である。
ステージ上の鳥籠がステージ脇へと移動させられていく。サナギはそれを見て立ち上がった。
「さ、ここにはもう用はない。交換してもらいに行こう」
払えないと分かっている金を引き換えに、か。とはいえ、タンジェも戦闘能力を信頼されることはやぶさかではない。いざとなったらサナギと緑玉くらいは守ってやらなくてはならないだろう。
Over Night - High Roller 7
それからもタンジェは順当に勝ち続けた。とはいえ、さすがに小さな勝ちを積み重ねて、時折スプレッド3〜1の大きな手をもらう程度だ。それでも明らかに不審がる者ももちろんいたが、そのくらい派手にやらないと目立たない。
シャルマンのテント内で、"レッドドックのテーブルにツイてるガキがいる"という噂が緩やかに流れ、徐々にギャラリーが集まり始めた。
タンジェは動じず、ただ不審な動きだけはしないように、堂々としていた。リカルドはすました顔でタンジェにカードを寄越す。それで2度目のレッドドッグが決まったとき、タンジェに声をかけるものがあった。
「今日はツイてるみたいですね、お若い方」
柔和な物腰の紳士だった。背後に黒い服を着た屈強な男が2人立っている。
タンジェが黙って肩を竦めると、紳士はこちらを値踏みするように眺め、それから、
「その稼いだ大量のチップ、ぜひ『第2部』で使いませんか?」
――来た……!
タンジェは演技派ではない。嘘をつこうとか、他人を欺こうと思ったことはないし、たぶん、できない。だからタンジェは余計なことは言わずに、ただ"興味があるぞ"という意思だけ込めて紳士を見返した。
紳士は実に楽しそうに目を細めた。タンジェの興味を嗅ぎ取ったのだろう。
「保証しますよ。スリリングな体験をね。どうですか?」
タンジェは頷いた。
紳士が黒服たちに合図を送る。黒服たちはタンジェのチップを「間違いなく預かる」と言って、番号札のついた鍵と引き替えに回収した。
黒服の1人が案内してくれるようだ。席を立ちレッドドッグのテーブルから離れる。黒服がテントの奥の奥へと進んでいく。周囲を軽く観察したが、サナギとパーシィの姿は見当たらなかった。
テントの奥には裏口があって、そこから渡り廊下が伸びている。渡れば、もう一つテントが建っていた。大きさはパッと見てシャルマンの半分くらいだ。入り口には関係者以外立ち入り禁止の札がかけてあり、黒服が警備に立っている。カジノの運営用のテントとして設置されているものらしい。つまりこのテントには金庫や顧客情報などがある……と、一般人には思われているはずで、厳重な警備も不審がられることはないのだろう。しっかり防音しているらしく、中の声も決して漏れ出てはこなかった。
ここが、闇オークション会場だ。
「中にいる者から説明を聞け」
黒服が淡々と言い、警備の黒服に引き継ぎをして、シャルマンへ戻っていった。警備の黒服からボディチェックを受ける。当然、スーツ姿で斧なんか持ってきていない。問題なく、タンジェはテントの中に通された。
天井から提げられたシャンデリアの火がゆらめく。ステージに立つ男は上等なスーツを着込んでいる。ステージには首だけのマネキンに首飾りが着けられていて、男はこの首飾りがいかに美しく、高価で、そして魔性であるかを熱弁していた。
「この『貴婦人の血涙』は、手にした者にあらゆる富と名誉を与えます。しかし同時に破滅ももたらしてきました。始まりはルビー夫人から、直近ではフランチェスカ夫人まで、ことごとく非業の死を遂げています!」
――そんなもん、誰が欲しがるんだよ。
呆れながら中の受付らしきところに寄ると、番号札が渡された。入札を希望する場合に挙げてください、とのことだ。それから、入札の最小単位は100であること、競り落とした品はのちほど引き渡しになることなどを説明された。タンジェは適当に頷く。
席を探してうろついていると、サナギを見つけた。サナギの金髪にほど近い緑の髪は目立つ。サナギの周囲の席はあいていた、というより、サナギがあいている席を選んだのだろう。タンジェはサナギの横に腰掛けた。
「予定通りだね。お疲れさま。どのくらい稼いだ?」
サナギはタンジェのほうを見ずに尋ねた。
「黒いのを5000枚くらいだ」
「やるねぇ……!」
口元に笑みが浮かんだのが見えた。
「1枚いくらくらいなんだ?」
どんどんテーブルに積み重なっていったので、タンジェの感覚としては、1枚1Gld前後なのではないかと思う。4000~6000Gldくらいだろうか?
「黒なら、1枚100Gldだよ」
「ひゃく……」
ゼロが多すぎて一瞬で計算できない。サナギは笑って、
「50万Gld」
タンジェは息を呑んだ。考えたこともない額だ。たった数時間で、50万Gld!?
いや、もちろんタンジェの力ではない。これはリカルドが稼がせた額だ。しかし、命の危険もなく、ただ座ってるだけで、50万Gld……。
「俺の取り分と合わせれば、充分戦えるね」
「てめぇ、いくら稼いだんだ?」
「80万Gldくらい」
それで『充分戦える』レベルかと目まいがした。――とんでもねえな、闇オークション……。
話している間に、『貴婦人の血涙』とやらの入札が始まり、値段がつり上がっていく。
「1000!」
あっという間に1000の大台を超えてしまった。どう聞いても不吉なものだと思うのだが、こいつらは話を聞いていたのだろうか?
「1500!」
「1700!」
「2000!」
……。
圧倒されていると、
「1万はいくだろうね」
「1万……って、単位は……Gldだよな?」
「うん」
サナギの言うとおり、値段は瞬く間につり上がっていく。5000、の声を皮切りに、入札単位は1000Gldを平気で超えるようになる。
「1万!」
「1万2000!」
それから、会場が静まる。
「1万2000! これ以上の入札はございませんか!」
数秒を待ち、反応がないことを確認した競売人が、大きくハンマーを打ち鳴らした。
「ハンマープライス、1万2000! 56番様が落札です!」
拍手が起こる。
何もかも、タンジェには縁が無い世界だ。
いや、今こうしてここにいることで、縁はできてしまっているのかもしれない。嫌な話である。
競売人が次に用意したのは立派な象牙で、それは2万6000Gldで落札された。